2023.11.13| PASSIONE “情熱”

‘017 日本人がローマにイタリア料理店?〜ローマ出店!その理由と現実4〜

1993年創業。100年続くイタリア料理店を目ざして、新潟、都内、イタリアへと道を開いてきたクオルス・リストランテ。現在、レストランのほかに、伝統的バルサミコ酢樽をモデナに所有し、都内にモッツアレラチーズ工房、上越にクラフトビール醸造所を展開。イタリア食文化に感銘を受けたことで始まった挑戦は、これからも続く。

ローマ出店!その理由と現実4

 

ローマ店の工事現場で食事中の設計士さんと工事人さんたち

不動産関係の手続きは、不動産会社の日本人社長にお任せしましたが、問題は、ビザでした。イタリアで、日本人を含めた外国人がビザを取得するのは相当困難です。可能にするには、現地法人を作ること。そんなアドバイスをくれた人がいて、今度は現地法人の設立を手伝ってくれる会社を探しました。見つかったのは、ローマにある会社で、本業は旅行代理店。社長の斉藤和茂さんにメールでいろいろ相談し、さまざまな仕事の代行を引き受けていただけることになりました。会社の設立やビザの取得、従業員のアパートの手配。細かいところまで対応してもらいました。

このように書くと、ずいぶんスムーズだったように聞こえるかもしれませんが、イタリアでのレストラン開業も会社設立も、決して簡単ではありません。なぜそれがうまく進んだかといえば、斉藤さんが現地に強い人脈を構築していたからです。イタリアはものすごいコネ社会です。正面からまともに行けば、半端ない時間がかかり、ほとんど進みません。しかし、有力なコネがあれば、魔法のカギを使ったかのように扉が開くのです。

現地法人は、私のほか斉藤さんとイタリア人の会計士に役員になってもらい、設立登記を行いました。日本から修業に行く料理人のビザを取るには、日本の本社から出向という形をとれば、スムーズになります。れっきとした就労ビザを取得したうえで、堂々と働けるようにしたのです。イタリアで何年も働いていても、きちんとした就労ビザが取れずに、ヒヤヒヤしながら働いている日本人や外国人は山ほどいることを考えれば、どんなに価値があることでしょう。

レストランの内装は現地の人にお願いしましたが、これまた大変なことになりました。2月に契約をして物件を押さえ、4月には現地に行って内装や看板の業者に見積もりを依頼。その後、メールでやりとりして、見積もりにOKを出し、5月の末にはキャストを連れて乗り込んだところ、まったく手つかずです。

聞いてみると、見積もりなどのやりとりしているうちに、時間を食ってしまったと。そんな業者は信用できないので、別の設計士を紹介してもらい、彼が抱える職人に、現場で指示を出しました。「ここは壊して、ここは残して。ここはこの色にして」。結局、日本から連れて行ったキャストも交えて、解体から始めました。

 

工事が始まったローマ店の内部

次回「‘018|「日本人がローマにイタリア料理店?ローマ出店の理由と現実5」へつづく

 

高波利幸 Toshiyuki Takanami

1968年、新潟県上越市生まれ。高校卒業後「服部栄養専門学校」に入学し、料理の勉強を開始する。在学中、ヨーロッパに研修でイタリアへ行き、イタリアの食と文化、そして人に大きく感銘を受ける。卒業後、イタリアレストランで修行を開始。7年間東京で暮らしたのち、新潟に帰郷。1993年4月、地元上越市にイタリアレストランをオープン。現在イタリア料理店3店舗、モッツアレラチーズ工房、クラフトビール醸造所を展開。その他飲食店コンサルティング、プロデュースも手掛ける。

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