‘016 日本人がローマにイタリア料理店?〜ローマ出店!その理由と現実3〜
1993年創業。100年続くイタリア料理店を目ざして、新潟、都内、イタリアへと道を開いてきたクオルス・リストランテ。現在、レストランのほかに、伝統的バルサミコ酢樽をモデナに所有し、都内にモッツアレラチーズ工房、上越にクラフトビール醸造所を展開。イタリア食文化に感銘を受けたことで始まった挑戦は、これからも続く。
ローマ出店!その理由と現実3
現地で店を開くにあたっては、またしても人脈の力を借りました。川崎店のあるラ・チッタデッラのオーナーのご主人がイタリアの外交官で、日本の大使館に勤めていました。そして、ハーフの息子さんが、うちのレストランのお客さまでした。そのルートから川崎店の誘致の話も発生してきたわけです。
息子さんに「イタリアでレストランをやりたいんですけど」と話してみると、「親父の物件がローマにあるよ」と。「これはすごい」と見に行ったところ、場所は理想的でしたが、法律上、飲食店が開けない物件でした。
しかし、その経験が刺激になって「もしかすると、つてをたどれば、イタリアにレストランを持てるかもしれない」と本気になりました。そうなるとイケイケで、もう戻るに戻れません。どうやったら物件を探せるのか。とりあえずネットで「イタリア 不動産」と検索してみると、ミラノにある不動産業者がヒットするではありませんか。何と社長は日本人で、日本人で唯一、イタリアの不動産免許の資格を持っている方でした。神戸出身で、証券会社に勤務後、縁あってイタリアで不動産業を始めたと、後で聞きました。
早速メールで「イタリアでレストランをやろうと思っていますが、物件を紹介していただけませんか?」と送ると、すぐ返信がありました。「どこでお探しですか?」と聞かれたので、「ローマがいいと思っています」と返信しました。すぐにいくつかの物件を紹介してくれ、実際にローマに見に行くことになりました。
最初の紹介物件はすべて条件が合いませんでした。「もっと安くて小さいところがいい」とお願いしたら、1カ月後には、実際にオープンすることになる物件を紹介してくれました。トントン拍子で、驚くほど順調に、契約まで進みました。
次回「‘017|「日本人がローマにイタリア料理店?ローマ出店の理由と現実4」へつづく
高波利幸 Toshiyuki Takanami
1968年、新潟県上越市生まれ。高校卒業後「服部栄養専門学校」に入学し、料理の勉強を開始する。在学中、ヨーロッパに研修でイタリアへ行き、イタリアの食と文化、そして人に大きく感銘を受ける。卒業後、イタリアレストランで修行を開始。7年間東京で暮らしたのち、新潟に帰郷。1993年4月、地元上越市にイタリアレストランをオープン。現在イタリア料理店3店舗、モッツアレラチーズ工房、クラフトビール醸造所を展開。その他飲食店コンサルティング、プロデュースも手掛ける。