‘020 「100年続くレストラン」にするためには①
1993年創業。100年続くイタリア料理店を目ざして、新潟、都内、イタリアへと道を開いてきたクオルス・リストランテ。現在、レストランのほかに、伝統的バルサミコ酢樽をモデナに所有し、都内にモッツアレラチーズ工房、上越にクラフトビール醸造所を展開。イタリア食文化に感銘を受けたことで始まった挑戦は、これからも続く。
「100年続くレストラン」にするためには①
こうして、これまでのことをまとめているのは、レストランのキャストやこれから入社してくる方々に、伝え切れていない部分を理解してもらうためです。私は、クオルスのレストランが100年続いてくれたらいいと願っていますが、そのためにこの記事が、少しでも役立てば、とも考えています。
格好良く言えば、何十年か経って私がいなくなった後も、バイブル的にこの記事が残って、みんなが読み返してくれるとありがたいです。「高波社長だったら、こんな時はこう判断するのではないか。こんな手を打つだろう」。そんなヒントになればと思っています。
「100年続くレストラン」とは、壮大なビジョンです。同じような思いでやっている会社がたくさんあります。それぞれに危機的な状況を迎え、調子が良かったり悪かったり。それを繰り返して100年になるのでしょう。実現するためには、考え方の根幹になるものがしっかりしていて、ビジョンがブレないこと、描き続けられる強さも必要です。
恩師の方々は、素晴らしい会社のことを教えてくれるだけでなく、『ビジョナリー・カンパニー』など、役に立ちそうな本を送ってきてくれます。これまでにいろいろな読んでみましたが、たとえばウォルト・ディズニーの『夢をかなえる言葉』などには心を打たれました。ウォルトの言葉と、日本の企業経営者、創業者の方々の名言が書いてあり、とても参考になりました。
株式上場にはまったく興味がありません。それより、永く、語り継がれていくレストランにしたいと思っています。
「あのレストランって、こういう考え方であのスタイルを貫いているんだよね」とか、「あのレストランはいずれ、こうなっていくよね」。そんなイメージです。そしてキーワードは「イタリア料理」です。
つまり、「イタリア食文化を伝えて100年続くレストランにしたい」というのが願いです。そう決めたのは今から30年前。それまではイタリア料理店をやりつつも、内心はまだグラグラしていました。立ち食いそばに興味を持ったり、フランス料理店に引かれたり。フランチャイズ・ビジネスに興味を持ったこともあります。
ニューヨークで見た革新的なデリカテッセンとイタリアンレストランの複合店舗。それを日本で再現しようと試みて、自分なりの満足感を得ながらも大失敗をしたのが、ちょうど13年前です。破産寸前の状態から立ち直るために「イタリアの食堂の親爺で行こう」と決意しました。事業が大失敗して、たくさんの優秀な人材を失って、誰も助けてくれないと絶望していた時に、残って一緒にやろうと言ってくれた人たちがいました。彼らが「イタリア料理で行こう」と決めてくれたんです。
次回「‘021|「100年続くレストラン」にするためには②
高波利幸 Toshiyuki Takanami
1968年、新潟県上越市生まれ。高校卒業後「服部栄養専門学校」に入学し、料理の勉強を開始する。在学中、ヨーロッパに研修でイタリアへ行き、イタリアの食と文化、そして人に大きく感銘を受ける。卒業後、イタリアレストランで修行を開始。7年間東京で暮らしたのち、新潟に帰郷。1993年4月、地元上越市にイタリアレストランをオープン。現在イタリア料理店3店舗、モッツアレラチーズ工房、クラフトビール醸造所を展開。その他飲食店コンサルティング、プロデュースも手掛ける。