2020.06.15| イタリアの食とワインの味わい方

No.11 イタリア人にとってのトラットリア 番外編 ~トラットリアの風景①~

 

5月後半に入り、ここイタリアではロックダウンの段階的解除にともない、各地でレストランの営業がいよいよ本格的に再開されました。皆が待ちに待った日の到来です!自粛生活の間、「自由になったらまず何したい?」というサークル仲間とのSNSでのやり取りの中、「いきつけのTRATTORIA(トラットリア)に行きたい!」という発言に対して、間髪を入れずに、ほぼ全員の参加者が「私も!」「もちろん!」「とても恋しい!」などとリプライしていましたが、彼らもどんなにかこの日を喜んでいることでしょう!

ちなみに「トラットリア」とは、多くの方がご存知のように大衆向けのイタリア料理店のこと。よく訳される“大衆食堂”のイメージよりはずっとおしゃれで、イタリアのどんな街や村にも、まるでそこの風景に溶け込むように存在し、自慢の郷土料理とワインでアットホームなサービスを提供してくれる、そんなレストランです。

今回の思わぬ自粛生活において、人生において本当にかけがえのないもの、反対に無くても困らなかったもの、それらの存在への自覚や再認識は、誰の心にも少なからずあったはず。そんな状況の中、「自由になったらすぐにでも行きたい」と言わしめたトラットリアとは、彼らイタリア人にとって一体どんな場所なのだろう?と、こんな時勢だからなのか、あらためて、そんなことが気になりました。

彼らにとってトラットリアに出向くということは、単に「美味しものを食べたい」だけではなく、「そこでお馴染みの人たちと顔を合わせておしゃべりしたい」という意図がワンセットになっているのは明らか。なにしろ人生においては(ステレオタイプにしても)、「MANGIARE(食べて)、CANTARE(歌って)、AMORE(愛して)」が信条というイタリア人。個人的にはこの“歌って”の部分は“おしゃべりして”なのでは?と思っているくらいなので(笑)、尚更のこと、私にはトラットリアで繰り広げられている光景はまるで人生の縮図のようにも見えてきます。

そこで、こんな時にはとばかり先のサークル仲間に〝緊急アンケート″を敢行!そのままズバリ「あなたにとってトラットリアとは?」。彼らもこんな思わぬ問いに、はじめは面食らっていましたが、「家庭に次ぐ“第二の食卓”のような存在」「食べ親しんでいる変わらぬメニュー。何を頼んでも間違いなし!」「マンマ(おかあさん)の味」「自分のテリトリー。安らげる場所」等々、次第にいろんな思いがあふれてきたようでした。

 

そんな中、会のリーダーでもあるアドリアーノが、こう言ったのです。

「つまり僕らにとって“NIDO(巣)”の様なものさ。巣の中(安心できる場所)で、皆でピーピー騒いで(おしゃべりして)いれば、そのうちマンマがちゃんと食べ物を運んできてくれる(マンマの味の美味しい料理が運ばれてくる)だろう?こんな居心地がいい場所はないさ。鳥たちが必ず巣に戻るのと同じで、僕らにとっても、いつだってそこに帰りたくなる場所なんだよ」

「NIDOかぁ! それだ!!」と、思わず膝を打ってしまいました。彼が言うイメージはストンと私の腑に落ちて、トラットリアの“あたたかさ”までが体感できるようでした。それにしても”いつだってそこに帰りたくなる場所“とは、なんと愛おしい表現なのだろうか。そういえば、冒頭で書いた「いきつけのトラットリアに行きたい!」のイタリア語での原文には、“ANDARE(行く)”ではなく“TORNARE(帰る)”という単語が使われていたことを思い出しました。やはり“帰る“という感覚がともなう、そんな場所なのだとあらためて納得したのです。

「巣」といえば、日本では家に籠っての自粛生活のことを「巣ごもり」と呼んでいます。ということは制限解除された今、いよいよ“巣からの旅立ち”の時が到来といったところですが、反対にイタリアではこれから多くの人が“巣に帰って”、ようやく羽をのばすことになりそうです(笑)。いづれにしても、それぞれがたどり着く先の風景は、これまでよりも更に愛しく、かけがえのないものに映ることでしょう。

 

クオルス・イタリア駐在員/小関智子 Tomoko Koseki

クオルス・イタリア駐在員/小関智子 Tomoko Koseki

エミリア・ロマーニャ州在住。AIS(イタリアソムリエ協会)のソムリエの資格と公認添乗員ライセンスを持つ。現地で出会ったワイナリーとクオルスを繋いでいる。

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