2021.10.23| PASSIONE “情熱”

‘005 閑静な住宅街で ご近所トラブル続出 〜新潟のイタリア料理店がローマに店を出した!〜


新潟県内に2店舗、東京都青山や神奈川県に2店舗のイタリア料理店を展開するクオルス・リストランテ。始まりは、代表である高波利幸が25歳の時だった。上越市を出発点に関東へ、さらには本場ローマへ。新潟発イタリア料理店の軌跡を、代表自身が振り返る。それは一軒の料理店の物語、地方発一企業の挑戦体験だ。

閑静な住宅街でご近所トラブル続出

 

1995年、新潟市西大畑にオープンした「ペントラッチャ」

新潟店は大繁盛を続けていましたが、問題がないわけではありませんでした。突然、来なくなるキャストがいたり、問題を起こすキャストがいたり。その都度、頭を悩ませていましたが、一番大きな悩みは、レストランのお客さんが、ご近所に迷惑をかけるという事態でした。初期コストを抑えようと最小限の駐車場しか用意しなかったので、 お客さんの車が路上にあふれました。中には、よその契約駐車場に駐車したり、人の家の前に駐めたりして、クレー ムが押し寄せました。

「お宅のレストランのせいで交通渋滞になっている。どうにかしろ!」
「また今日も、家の前に路駐されていて、ガレージに車が入れられない」

苦情が、レストランの営業とは関係なしに飛び込んできます。泉さんが困り果てているので、僕がお詫びに行くわけですが、あまりにも高圧的に怒られ、まだ若かった私も逆ギレしたりして、事態をますますこじらせてしまいました。 結局、早急に駐車場を増やすことを約束し、それまでは大目に見てほしいということで、大筋のご理解をいただきました。

騒音問題もありました。お客さんがうるさいというクレームです。若い人がたくさん集まりましたから、 少しお酒が入ると、どうしても声が大きくなります。 異臭問題もありました。レストランから出るゴミは大繁盛店だからこそ、すごい量に。専門のゴミ回収業者に引き取ってもらっていましたが、営業後に出しても収集は翌日早朝。特に気温の高い時期には、異臭が漂うわけです。 

 

2号店「ペントラッチャ」の店内

そもそも新潟店は、西大畑という閑静な住宅街にありました。すぐそばには「どっぺり坂」と呼ばれる坂。上ったところにはかつて、旧制新潟高校の寮があり、この坂を下って繁華街に遊びに行くと落第するぞ、と名付けられたとか。ドイツ語で落第のことを「ドッペルン(二重=ダブる)」と言うからだそうです。 そんな由緒ある場所に、地元のゼネコンが億ションを建てました。私たちは、ゼネコンが持っていた1階の店舗を、安く借りたというわけです。 

だから、上階に住んでいる人たちはみなさん、高額所得者で、周囲にもアッパーな方々が多かった。近くに知事公舎もあり、雰囲気も違います。そういう人たちもレストランの常連になってくれたことから、近隣との衝突は次第に収まっていきました。私たちもちゃんと対応をしたことから、決して悪いレストランではないと理解されたためでしょう。

 


有頂天な記憶 

繁盛の一方でキャストの入れ替わりも激しく、辞める人がいればそれを補充するということの繰り返しでした。自然と、残っていく人が次第に、主たるメンバーに。 店主である泉さんは本来、料理人なので、キャストをまとめることに関しては、 ほぼ初めてのはずですが、人の扱いがとても上手でした。そこで、彼には ぜひ右腕になってもらいたいと考え、一緒にレストランを増やす計画を練っていきました。 東京に新しいレストランができると、2人で視察です。

 

現在の新潟店。場所と店名(アッラ・ベッキア・ペントラッチャ)が変わった。2010年開業。

「次の物件、新潟県内だったらどこがいいかな」
「中間地点の長岡がいいんじゃない?」
「じゃあ3軒目は? そして4軒目、5軒目は?」
「いっそのこと、自分たちでつくるんじゃなくて、OEM(委託製造)して、誰かにつくってもらったらどうかな」
「それならFC(フランチャイズ・チェーン)に走るか」
「うーん、そこまでいくのはどうだろう」

あれこれ、2人で話していたことを思い出します。もしあの時、FC 展開を決断していたら、イタリアにレストランを出すような会社にはなっていなかったでしょう。

性格を比べると、泉さんの方が現実的ではあるものの、時として2人して舞い上がってしまうことも。有頂天というか大言壮語というか、 外から見ればホラ話のようなことを大真面目に話していました。 

「僕たち、新潟では敵なしだよね」
「じゃあ、長岡に出したら、長野に出て行こうか」
「次は駐車場たっぷりの郊外がいいね」
「そうだね。近隣の方々に迷惑をかけないようにしないと」

当時、私は28歳。イケイケの時代を謳歌していました。

 

1996年にオープンしたフレンチビストロ(上越市)。このころはまだイタリア料理店一本に絞り切れておらず、翌年には蕎麦屋をオープンさせたりしていた。

次回「‘006|東京挑戦へ、つのる思い 」へつづく

 

高波利幸 Toshiyuki Takanami

1968年、新潟県上越市生まれ。高校卒業後「服部栄養専門学校」に入学し、料理の勉強を開始する。在学中、ヨーロッパに研修でイタリアへ行き、イタリアの食・文化・人に大きく感銘を受ける。卒業後、イタリアレストランで修行を開始。7年間東京で暮らしたのち、新潟に帰郷。1993年4月、地元上越市にイタリアレストランをオープン。現在新潟、東京都内、川崎に6店舗を展開。

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