2022.07.11| PASSIONE “情熱”

‘012 食材は、生産者から直接買い付け〜新潟のイタリア料理店がローマに店を出した!〜

 

新潟県内に2店舗、東京都青山や神奈川県に2店舗のイタリア料理店を展開するクオルス・リストランテ。始まりは、代表である高波利幸が25歳の時だった。上越市を出発点に関東へ、さらには本場ローマへ。新潟発イタリア料理店の軌跡を、代表自身が振り返る。それは一軒の料理店の物語、地方発一企業の挑戦体験だ。

食材は、生産者から直接買い付け

私たちのレストランの大きな特徴は、食材のほとんどを新潟から調達していることです。新潟発のイタリア料理店なので、野菜、果物、豚、鶏、牛、魚介類はすべて、新潟から納めています。

冒頭でも触れましたが、大切なのは「うちらしい」「うちっぽい」 ということ。言い換えれば、情熱が個性に変わっていくことです。私たちは、自分たちの足で食材を探し、生産者を訪ねていますが、それは「ひと皿ひと皿、魂のこもった料理をお客さまに提供すること」をポリシーにしているからです。 生産者に会って作る料理と、会わないで作る料理は、同じ素材でも必ず、差が出ます。

 きっかけは「久保田さんのトマト」でした。ある時 「すごくおいしいね」というトマトに出合ったので、作っている人に会いに行きました。 場所は上越市。上越店から車で10分のところです。それが久保田さんだったわけですが、彼はとても面白いお父さんで、トマトの栽培に関する奥深いお話を聞かせていただき、感銘を受けました。

 

久保田さんの農園でトマトを手に取る著者

「こうやって探していけば、いろいろな食材に巡り合えるだろう」と、行動するきっかけにもなりました。その久保田さんが亡くなってしまい、今は奥さんが遺志を継いでトマトを作っています。 そういう背景を知れば、ただのトマトではなく、意味のあるトマトになります。料理する手に気合いが入り、食材を100%活かそうと強く意識します。そうやって作った料理が、おいしくないはずはありません。 

さらに、ストーリーをお客さまにお伝えすることもできます。かつて久保田さんには、私たちもハッパを掛けられました。「俺が魂のこもったうまいトマトを作るから、 お前らも真剣に料理を作れよ」と。そのお話を「久保田さんのトマト」としてお客さまにお伝えしているので、メニューに「久保田さんのトマト」と書いておくだけで反応があります。 「久保田さんのトマト、始まったね」と。中には「トマトだけ500g分けてよ」とおっしゃる方もいます。 

 

「越の丸茄子」生産者の田中さん ( 中央 ) を訪問するクオルスのシェフたち

「久保田さんのトマト」から始まった直接仕入れは、今ではいろいろな素材に広がっています。実のところ、価格的なメリットは、あまり大きくありません。例えば、豚肉ならロースだけ仕入れれば充分だったところ、 直接仕入れでは、1頭丸ごと買わなければなりません。1頭買ったら、もも肉はこの料理に、ロースはこの料理に、肩はどうしよう?などと考えるわけですが、これがまた悩ましくも楽しい作業です。 

何より大きいのは、豚の解体を若いキャストが経験できることです。これはなかなかできないことで、どんなに立派なレストランでも、精肉店が部位ごとに真空パッ クして持ってきてくれるので、解体のチャンスはまずありません。 今、うちでは豚、子羊、黒イノブタまでは1頭単位で買い付けています。体が半分になって内臓が抜かれた状態で届いたものを、基本的には包丁で、時にはノコギリも使って解体します。本当は牛の解体もできるといいのですが、牛を1頭買ってしまうと、焼き肉屋でもやらない限り、処理しきれません。

イタリア料理では、豚1頭は内臓まで含めてすべて無駄なく使います。豚足や耳、鼻はどうするかというと、細かく切り刻んで煮込みます。それを冷やし固めると、煮こごりみたいになるんです。黒胡椒を粗めに挽いて、マスタードをつけて食べると、これがたまらないうまさなんです。

次回「‘013|「南青山イタリア化計画」へつづく

 

高波利幸 Toshiyuki Takanami

1968年、新潟県上越市生まれ。高校卒業後「服部栄養専門学校」に入学し、料理の勉強を開始する。在学中、ヨーロッパに研修でイタリアへ行き、イタリアの食・文化・人に大きく感銘を受ける。卒業後、イタリアレストランで修行を開始。7年間東京で暮らしたのち、新潟に帰郷。1993年4月、地元上越市にイタリアレストランをオープン。現在新潟、東京都内、川崎に6店舗を展開。

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