2024.02.20| PASSIONE “情熱”

‘018 日本人がローマにイタリア料理店?〜ローマ出店!その理由と現実5〜

1993年創業。100年続くイタリア料理店を目ざして、新潟、都内、イタリアへと道を開いてきたクオルス・リストランテ。現在、レストランのほかに、伝統的バルサミコ酢樽をモデナに所有し、都内にモッツアレラチーズ工房、上越にクラフトビール醸造所を展開。イタリア食文化に感銘を受けたことで始まった挑戦は、これからも続く。

ローマ出店!その理由と現実5

 

やっとのことで工事は動き出しましたが、看板やテント、壁の色が景観条例のようなものでかなり厳しく規制されていて、サイズや色が思うように決まりません。決定案を役所の建築課に申請しても、1回では通らず、さらに遅れていきました。

2012年6月23日にレセプションパーティー、6月26日にオープンと決めていたので、許可が出るのを待たずに工事を先行させました。すると役所の建築課の人が来て、「まだ許可を出してないのに、どうして看板がついているのか」「許可してないのに、テントもつけたのか」と文句を言い出しました。挙げ句の果て「許可が下りないと営業できないよ」と脅すではありませんか。

何とか事情を説明して、「最低限ここまで守れば開けていいよ」という話に漕ぎつけ、無事にレセプションをやってレストランをオープンしましたが、まだ話は終わりません。年が明けてから「罰金を払え」という通知が来ました。許可が下りてないのに店を開けた罪に対する罰金で、12万円くらい払いました。

ローマのレストランは、クオルスの常連の中でも、「サポーター」ともいえる懇意のお客さまには、足を運んでいただいています。それどころか、クオルスの6軒のレストラン全店を制覇している方も12、13人はいらっしゃいます。

一方、イタリアに行きたいというキャストも順番待ちでした。ローマでは、キャストのローテーションを組んで、回していきました。中心メンバーは日本人で、キャストの派遣期間は最長1年。

キャストは、日本のレストランで週1回行っていたイタリア語のレッスンを受けていたので、ある程度、聞けて話せます。といっても基礎会話くらいですが、現地に3カ月もいれば、結構話せるようになります。私のイタリア語は日常会話程度ですが、1人で行って不自由しません。レストランの立ち上げでローマに1カ月滞在したところ、やはり環境なのでしょう。言われていることは充分、理解できるようになりました。

 

ローマ店のレセプションパーティー風景。白のジャケットが高波利幸

次回「‘019|「なぜ、イタリア料理なのか?」へつづく

 

高波利幸 Toshiyuki Takanami

1968年、新潟県上越市生まれ。高校卒業後「服部栄養専門学校」に入学し、料理の勉強を開始する。在学中、ヨーロッパに研修でイタリアへ行き、イタリアの食と文化、そして人に大きく感銘を受ける。卒業後、イタリアレストランで修行を開始。7年間東京で暮らしたのち、新潟に帰郷。1993年4月、地元上越市にイタリアレストランをオープン。現在イタリア料理店3店舗、モッツアレラチーズ工房、クラフトビール醸造所を展開。その他飲食店コンサルティング、プロデュースも手掛ける。

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