2021.10.06| PASSIONE “情熱”

‘004 新潟市に2軒目をオープン 〜新潟のイタリア料理店がローマに店を出した!〜


新潟県内に2店舗、東京都青山や神奈川県に2店舗のイタリア料理店を展開するクオルス・リストランテ。始まりは、代表である高波利幸が25歳の時だった。上越市を出発点に関東へ、さらには本場ローマへ。新潟発イタリア料理店の軌跡を、代表自身が振り返る。それは一軒の料理店の物語、地方発一企業の挑戦体験だ。

新潟市に2軒目をオープン

最初のレストランをオープンして2年くらい経つと、次を出したいと思うようになりました。今度は新潟市です。当時の人口は、上越市13万人に対して新潟市は75万人。東京や大阪の人から見れば、どちらも一地方都市かもしれませんが、 私からすれば新潟は大都会です。商圏として大きいし、潜在的なお客さんの層も厚い。何とかここで、2軒目を成功させたいと思いました。

とはいえ、新潟市は未知の土地。知り合いもいないし土地勘もない。完全なアウェーです。最初のレストランが上越で軌道に乗ったからといって、新潟でうまくいく保証もありません。そこで、万が一、駄目だった時のために、最小限の経費でスタートすることにしました。

 

1995年、新潟市にオープンした2号店「ラ・ペントラッチャ」

例によって元ガソリンスタンドのお兄ちゃんと2人で新潟市内にアパートを借りました。初期費用を最小限にするため、店舗を小さくし、内装もあまり手のかからないものにしました。上越の本店は45坪でしたが、新潟店は30坪、そこに30席の客席。郊外ではなく、町の中心に近かったので、駐車場は最小限しか用意しませんでした。一方、本店の時と違って人集めはスムーズでした。上越のレストランの知名度が上がるにつれて、 いろいろなところから集まってくるようになっていたからです。

「新潟市在住なんですけど、ここで働かせてください」
「えっ、新潟? それなら今度出すレストランで働いてよ」

1995年。新潟店が完成すると、集まった人たちにひと通りの研修をしてすぐオープンしました。 驚いたのは、開店直後から、びっくりするくらいのお客さんがいらっしゃったこと。不慣れなキャストはみな疲れてしまって、不平不満が噴出。何とかまとめなければなりませんが、上越の本店にも行かなくてはならない。 おまけにその年に結婚。家庭も上越にありました。 さすがにきつく、東京時代の先輩に電話をしました。

「2軒目を出したんですが、一人ではキツくて、人を探しているんです」
「そういえば、泉が新潟に帰ってるぞ」
「え、泉さん新潟に帰っているんですか。お願いしてみようかなあ」

泉正広さんは、一つ上で新潟市出身。以前、東京の同じイタリア料理店で働いていましたが、私が辞めた後に入ってきたので、一緒には働いていません。ただ一度、東京で会ったことがありました。

早速、電話しました。聞くと、自分でレストランをやるための準備をしていて、あるレストランで働いているとのこと。すぐに会いに行きました。

「泉さん、新潟に2軒目を出したんですけど、体が持ちません。 新潟のレストランを一緒にやってくれませんか?」
「ああ、いいですよ」
「でも、自分でレストランをやるんでしょう? いいんですか?」
「まだ先のことだから」
「じゃあ一緒にやりましょう。僕たちのイタリア料理を、新潟でも盛り上げましょう」

こうして、新潟店を任せられる人が決まりました。今でも泉さんは、その後、場所が変わった新潟店、アッラ・ヴェッキア・ペントラッチャの責任者で、クオルスの幹部です。新潟市出身なので、地元に自分のレストランを持ったようなものと思ってもらって、 張り切ってくれました。 腕のいい料理人でもあったので、新潟店の料理はレベルアップし、持ち前のワイン知識で、ラインナップも充実。僕より料理の経験があることから、本店のメニューやワインも面倒を見てもらうことにしたら、料理のボリュームはそのままに、クオリティがアップす。進化を遂げることができました。

 

現在の新潟店「アッラ・ヴェッキア・ペントラッチャ」(写真上・下)

 


連日長蛇の列 、大繁盛店へ

泉さんという店主を据えて、新潟店は完全に軌道に乗りました。 上越のレストランも繁盛店になっていましたが、新潟店はけた違いです。それまで新潟市内に、ちゃんとしたイタリア料理店がなかったというのも大きかったでしょう。 30坪で30席足らずなのに、ひと月で1000万円の売上げ。 坪当たりに換算すると33万円ですから、新潟という立地を考えるとおばけレストランです。 しかも家賃がたった20万円。キャストも6、7人置けば多いくらい。細かく見てみると、客単価は夜で4000円前後でした。上越店は完全な郊外店なので車での来店が多く、あまりアルコールは出ませんでしたが、新潟店は街中なので、お客さまの ほとんどがワインを飲みます。 上越店では数種類しか置いていないワインも、新潟店では40種類。それがばんばん出る。だから利益率はすごかった。

結局、新潟店は上越店の3分の2の坪数で、2倍半を売り上げました。この結果は泉さんにとっても、良かったと思います。自分のレストランを開かなくても、やりたいことができたわけですから。

泉さんは、明らかに自分より、料理とワインの知識に長けていたので、レストラン全体でその知識を吸収しようと考えました。つまり、私だけでなく、働いているキャストにも分け与える。このやり方は、その後、入ってくるキーマンたちにも踏襲することで、私たちの1つの成長パターンになりました。新しい人や土地に出会ったら、ノウハウや経験をグループ全体に定着させ、進化の材料にしていく。これは、すごくいい方法です。 良いものを素直に評価し、意地を張らずに真似ると、短い時間で、目指すところに駆け上がる原動力になる。 2012年には、イタリアにもレストランを開いたので、今度は、現地の食材や流行しているものまで入ってきました。自分たちが成長して大きくなればなるほど、進化がスピードアップされていくわけです。 

 

泉さん(左)と高波(右)。中央はサレルノのカーザ・デル・ノンオ13(ミシュラン1つ星)のオーナーシェフ、ラファエレ.ヴィターレさん。2012年に料理研修で訪問した際のスナップ。

次回「‘005|閑静な住宅街でご近所トラブル続出 」へつづく 

高波利幸 Toshiyuki Takanami

1968年、新潟県上越市生まれ。高校卒業後「服部栄養専門学校」に入学し、料理の勉強を開始する。在学中、ヨーロッパに研修でイタリアへ行き、イタリアの食・文化・人に大きく感銘を受ける。卒業後、イタリアレストランで修行を開始。7年間東京で暮らしたのち、新潟に帰郷。1993年4月、地元上越市にイタリアレストランをオープン。現在新潟、東京都内、川崎に6店舗を展開。

SHARE THIS ARTICLE

 記事一覧へもどる