2023.06.28| PASSIONE “情熱”

‘014 日本人がローマにイタリア料理店?〜ローマ出店!その理由と現実 1 〜

1993年創業。100年続くイタリア料理店を目ざして、新潟、都内、イタリアへと道を開いてきたクオルス・リストランテ。現在、レストランのほかに、伝統的バルサミコ酢樽をモデナに所有し、都内にモッツアレラチーズ工房、上越にクラフトビール醸造所を展開。イタリア食文化に感銘を受けたことで始まった挑戦は、これからも続く。

ローマ出店!その理由と現実1

ワインの輸入などで毎年、イタリアに出向くようになって、イタリアの現実がよく見えてきました。まず分かったのは「イタリアには、私が修業したいと思うようなレストランがない」ということ。もちろん、厨房に入って勉強になるレストランはたくさんあるでしょうがが、日本で充分に経験を積んだ料理人が、イタリアで「仕事をしながら」修業するのにふさわしいところがないのです。

今、イタリアのレストランで修業しようとすると、月3万円とか5万円といったお小遣いの世界になってしまいます。若いうちならともかく、生活しながら料理を学びたい、ステップアップしたい、と考えている人たちには、とても厳しい現実です。なぜそうなるかといえば、たとえ技術があっても、ほかの国から来ているアルバイトと同じ扱いをされるからです。日本人の料理人はとてもレベルが高いのですが、イタリアではそれがなかなか評価してもらえません。

これでは、日本人の料理人の立つ瀬がない。ならば「レストランをやってやろう」という気持ちが湧いてきました。サッカーの中田英寿さんとか長友佑都さんみたいに、料理人もイタリアで評価されてもいいんじゃないか。それがそもそもの始まりです。

経験を積んだ料理人が「イタリアで修業したい」となったら、まず現地で勤め先を探さなければなりません。もちろん、レストランを見つけてからの交渉は、イタリア語です。運良く勤め先が決まったとしても、働くためのビザ取得が非常に難しい。日本人の若者が1人で解決するのはほとんど不可能で、実際、途中であきらめて帰ってくる人が多いようです。ただ、自分の働くレストランのグループ店が、イタリアにもあったらどうでしょう。単に職場を異動するだけですから、ほとんどの困難は回避できます。こんなに恵まれた話はありません。

また、日本ではあまり知られていない話ですが、イタリアで観光客相手に料理を出しているレストランの料理人は、多くがクロアチア人やルーマニア人といった出稼ぎ外国人です。オーナーはイタリア人でも、人件費の問題でイタリア人を雇わないからです。すると「これがイタリア料理か?」と思うような料理も出てきます。観光地では、いろいろな外国人が来るので、「それらしい」料理であれば問題にならないのでしょう。

冷凍のスパゲッティを使ったり、温めてパスタに絡めるだけのソースを利用したり。ジェラートも、大きな工場で作られたものを仕入れて、出しています。店の中で作っているところは、かなり少ないと思います。

次回「015「日本人がローマにイタリア料理店?ローマ出店の理由と現実2」へつづく

 

高波利幸 Toshiyuki Takanami

1968年、新潟県上越市生まれ。高校卒業後「服部栄養専門学校」に入学し、料理の勉強を開始する。在学中、ヨーロッパに研修でイタリアへ行き、イタリアの食と文化、そして人に大きく感銘を受ける。卒業後、イタリアレストランで修行を開始。7年間東京で暮らしたのち、新潟に帰郷。1993年4月、地元上越市にイタリアレストランをオープン。現在イタリア料理店3店舗、モッツアレラチーズ工房、クラフトビール醸造所を展開。その他飲食店コンサルティング、プロデュースも手掛ける。

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