‘015 日本人がローマにイタリア料理店?〜ローマ出店!その理由と現実2〜
1993年創業。100年続くイタリア料理店を目ざして、新潟、都内、イタリアへと道を開いてきたクオルス・リストランテ。現在、レストランのほかに、伝統的バルサミコ酢樽をモデナに所有し、都内にモッツアレラチーズ工房、上越にクラフトビール醸造所を展開。イタリア食文化に感銘を受けたことで始まった挑戦は、これからも続く。
ローマ出店!その理由と現実2
跡継ぎ問題もあります。イタリアでも、父親の跡を継ぐという若者は少数派です。優秀な若者、「外に出て稼ごう」と、多くがドイツやイギリス、アメリカに行きます。「息子は弁護士で、今ニューヨークにいるよ」などと話すレストラン経営者がたくさんいて、「俺の代でこのレストランは終わり。お前が欲しいなら売るよ」なんていう話もたくさん聞きました。とはいえ、オーナー自身の退職金代わりですから、だいたいが5000万円以上。とても、手が出ません。
ちょっとここで、イタリアのレストラン事情にも触れておきましょう。イタリアでは、レストランを持つのに営業権の取得が前提ですが、新規取得が極めて困難なために、既存の営業権が売買されているのが現実です。新たに取得できない理由は、地区ごとに出店数が規制されているから。そのため、気に入った場所でレストランを開こうとすると、既存のレストランの営業権を購入するしかありません。
とはいえ、さまざまな困難があったとしても、イタリアで修業をすることには大きなメリットがあります。休日を利用して生ハム工場へ行ってみたり、トマト畑を見たり。とにかく現地の空気、本物を見られるということが、かけがえのない経験になります。一口にイタリア料理といっても、州ごとに郷土料理があり、その違い、味わいは、現地でしか体験できません。
結論を言えば、自分の料理を確立していきたいという料理人は、とにかくイタリアに行くべきです。では、イタリアのどこに行くのがいいか。私たちはローマに店を出しましたが、それは商売になり得る場所と考えたからです。ミラノかローマか。最後には、ミラノよりローマの方が田舎で、ローマの人の方が新しい物好きだということから決定しました。
次回「016 日本人がローマにイタリア料理店?ローマ出店の理由と現実3」へつづく
高波利幸 Toshiyuki Takanami
1968年、新潟県上越市生まれ。高校卒業後「服部栄養専門学校」に入学し、料理の勉強を開始する。在学中、ヨーロッパに研修でイタリアへ行き、イタリアの食と文化、そして人に大きく感銘を受ける。卒業後、イタリアレストランで修行を開始。7年間東京で暮らしたのち、新潟に帰郷。1993年4月、地元上越市にイタリアレストランをオープン。現在イタリア料理店3店舗、モッツアレラチーズ工房、クラフトビール醸造所を展開。その他飲食店コンサルティング、プロデュースも手掛ける。